中尊寺一番の見所、建物一面に金箔を重ねた豪華絢爛な金色堂。
三千点以上の国宝と重要文化財には目を見張るばかり!
でも、そもそも中尊寺って何の為に誰が建てたんだろう?
一度は見てみたい、中尊寺のあれこれ調べてみました!
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中尊寺金色堂を建てた人は誰?
岩手県平泉市に存在する、美しい金色の光を放つ中尊寺金色堂。
世界文化遺産、国宝第一号としても知られていますね。
金色堂が金色堂と呼ばれる所以についてですが、方三間の阿弥陀堂で、内外を黒漆で塗り、その上に金箔で押したことで金色堂と呼ばれることとなりました。
また、夜行外の螺鈿(らでん)細工や漆の蒔絵、透かし彫りなど、同時の工芸技術の粋が集結されたつくりになっている姿は圧巻です。
さて中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は誰が建てたの?ですが、奥州藤原氏の初代藤原清衡が天冶元年(1124年)に建設したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代浄土教建築の代表例となっています。
また清衡は戦のない平和な世界、いわゆる「理想郷」を実現するために中尊寺を建立したと言われています。
建立後、その想いを繋いだ二代・基衡、三代・秀衡は毛越寺を建立。
金の産出が豊富だったこともあり、平泉は100年に渡り栄えました。
金色堂ミイラの謎!?
恐らく日本に残るミイラとして最も有名であろう藤原四代のミイラ。
皆さんご存知のように、中尊寺金色堂には平安時代末期に奥州に権勢を振るった奥州藤原氏のミイラが残されています。
このミイラとは、藤原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の藤原三代と、秀衡の長男である泰衡(やすひら)の首、併せて四代に渡り残されているのです。
自然なのか人口なのか
また、この四代に渡るミイラについては、自然ミイラか人工ミイラかで現在も論議が分かれているという。
何故ならば「ミイラなぞをさぐる」という本の記述によれば、中尊寺調査団の調査結果をもとに「秀衡のミイラには内臓がなく、代わりに古銭四枚と人の歯がたくさん入っていた」との文献が残っていたとされるからなのです。
しかしながら、その他の書物にはそのような記述はなく、秀衡のミイラにも内臓は残っていたとされています。
これらのミイラは、血液型や死亡原因、体格なども判明しているそう。
一説ではアイヌ系との混血ではなく、大和民族であるとのことです。
現在、金色堂の須弥壇の下に安置されています。
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御朱印ブーム到来!?
昨今の御朱印ブームにより、御朱印ウォーカーなる言葉まである御朱印巡り。
中でも国宝代位球である中尊寺、毛越寺ほかは世界遺産にも指定されているため、訪れる人が後を絶ちません。
御朱印帳自体は、本堂や不動堂などいたるところで売られています。
が、金色堂の朱印は金色堂で購入した朱印帳にだけ、見開き2ページに渡って書かれたものを頂けます。
金色堂以外の堂で購入した朱印帳だと、通常通り1ページ分のスペースにしか朱印を頂けないのです。
シンプルで美しいと評判の金色堂の御朱印帳ですので、急いで金色堂以外の堂で購入されませんことをオススメします。
中尊寺の御朱印ポイントは8か所ほど。
金色堂・本堂・弁慶堂などで御朱印を頂く事が出来ます。
月見坂下駐車場に駐車して、御朱印ポイントを巡るには約2時間ほどはかかります。
是非とも、金色堂にてオリジナルの御朱印帳をゲットして、その美しさを堪能して下さいね♪
中尊寺金色堂を建てた人は?駐車場とミイラと御朱印のまとめ
世界遺産であります金色堂について色々調べてみましたが、いかがでしたでしょう。
圧巻の宝飾品や当時の技術力に一度は触れてみられては。
金色堂自体は写真撮影やビデオ撮影は厳禁となっていますが、金色堂に身を置いて、ご自分の目で見る荘厳な風景は、きっとあなたの心に素晴らしい記憶となって刻まれる事でしょう。
■中尊寺の商品が通信販売で購入出来ます♪
参照:中尊寺の通信販売
お茶・穀宝米・御線香・扇子・出版物など、見ているだけでも感慨深くなる商品が沢山です。
一度ご覧になって見て下さいね。
※平泉中尊寺公式ホームページより
12世紀、藤原清衡は中尊寺を造営、二代目基衡は毛越寺を、三代目秀衡は無量光院と父子三代、100年に渡って仏教による平和な理想郷を建設してきました。
800年の歳月を経て藤原氏が築いた往時の多くは灰に帰しましたが、中尊寺金色堂など国宝・重要文化財は3000余点を数え、往時の面影を知る事が出来ます。