吉備津神社は、岡山市の吉備津に鎮座する備中国一宮。
古く、吉備国の総鎮守とされ、崇神期の四道将軍の一人、吉備国を平定した大吉備津彦命を祀ります。
備前と備中の境界、吉備の中山(標高175m)の西麓に鎮座します。
吉備の中山は古く、神体山とされ、東麓には備前国一宮、吉備津彦神社が鎮座します。
吉備津神社は、桃太郎説話のモデルともなった温羅(うら)伝説などに彩られた、山陽道屈指の大社です。
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吉備津神社
神話と花々に彩られた、吉備津神社の歩き方
吉備の中山の麓に沿う吉備津神社の境内は独創的。
北隨神門をくぐり、石段を登ると壮大な本殿が鎮座します。
足利義満の造営とされる本殿は、独特の吉備津造り(比翼入母屋造)で、接続する拝殿とともに国宝になっています。
本殿の裏手、南随身門から起伏に沿った長い回廊を歩くと、いくつかの社殿。左手に祖霊社、そして、右手の奥には重要文化財の御釜殿。ここでは日々、特殊神事の「鳴釜神事」が行われます。
回廊の奥には三社宮、御供殿、南端には本宮社が鎮座します。境内には一童社、えびす社などの社殿。山の斜面には、吉備の国魂を祀る岩山宮が鎮座します。
古く、吉備津神社には、吉備津五所大明神と呼ばれる5社と72の末社があったとされます。
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あじさい・ぼたんの見頃
境内の紫陽花(あじさい)園には、1500株のあじさいが植えられて参拝客を楽しませます。
見頃は6月中旬から7月上旬。
そして、回廊沿いには牡丹(ぼたん)が400本。見頃は4月下旬から5月上旬。また、境内には梅林もあり、四季を通じて参拝客を楽しませてくれます。
後背の吉備の中山の茶臼山(160m)には、大吉備津彦命の陵墓とされる全長120mの中山茶臼山古墳が在ります。
桃太郎説話のモデル、大吉備津彦命と温羅の伝説の秘密
大吉備津彦命は、崇神天皇10年、四道将軍として山陽道に派遣されます。
兵を率いて吉備国に入った大吉備津彦命は、人々を苦しめる鬼神、温羅(うら)の一族を退治して、吉備国に平和をもたらしたとされます。
温羅は百済の王子ともされ、鬼の城を築き、民を虐げていました。
大吉備津彦命は、吉備の中山に陣を敷き、温羅と戦います。
大吉備津彦命が石を立て、城を築いた地が楯築神社。
命が射た矢と温羅が投げた岩が空中で絡み、落ちたところが矢喰宮。
矢で貫抜かれた温羅が流した血が血吸川。
温羅は鯉となって川を逃げ、その鯉を噛み上げた鯉喰神社など、温羅退治の伝説に由縁をもつ、神社や遺跡が散在して、ロマンを掻き立てます。
吉備の中山の北西には鬼の城と呼ばれる朝鮮式山城が実在して、現在も調査が行われています。
また、前述の吉備津神社の御釜殿では、火にかけた釜の鳴る音で吉凶を占う、鳴釜神事が行われます。
社殿の下には温羅の首が埋められているとされ、神事は温羅の唸り声によるものとも、温羅の鎮魂の神事であるともいわれます。
吉備津神社の駐車場の傍には桃太郎像があり、味がある顔で、隠れた人気スポットになっています。
吉備津神社の御利益は、縁結びや夫婦円満、子授けと長寿
吉備津神社には大吉備津彦命の妃、百田弓矢比売が共に祀られて、縁結びや夫婦円満にご利益があるとされます。
また、大吉備津彦命は、吉備の中山の麓の茅葺宮に住み、281歳まで生きたとされることで、長寿にもご利益があるとされます。
そして、吉備の国は「黄薇」とも記され、黄の蕨(わらび)が吉備の中山に生え、これを食べると子が授かるとされ、昭和7年にこの蕨を皇后陛下に献上したところ、翌年、皇太子(今上天皇)が授かったという逸話があります。
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まとめ
吉備津神社
主祭神 大吉備津彦命
社格 式内社 名神大 備中国一宮 官幣中社 別表神社
創建 不詳
岡山県岡山市北区吉備津931
086-287-4111
公式HP:吉備津神社【公式】
アクセス
JR吉備線「吉備津駅」徒歩10分
車では
山陽自動車道「岡山IC」20分
吉備の中山は、古くから和歌や枕草子などで知られる山。吉備津神社の元宮磐座や奥宮磐座を始め、多くの祭祀遺跡や古墳が散在します。
大吉備津彦命はこの山に祈り、死後もこの山に葬られました。そして、吉備津神社はこの山をご神体として鎮座しました。
太古より崇められた、吉備の神奈備(かんなび)のエネルギーが、吉備津神社のパワーの根源のようです。