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沖ノ島の宗像大社は参拝できない?アクセス御朱印まとめ

沖ノ島の宗像大社は参拝できない?アクセス御朱印まとめ

宗像大社は、
玄界灘の孤島、沖ノ島の「沖津宮」、
筑前大島の「中津宮」、
そして、宗像市田島の「辺津宮」の三社の総称で、
朝鮮半島との海上交通の守護神です。

宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)を祭神として、全国7000余の宗像神社、厳島神社などの総本社、また、弁天様の総本宮でもあります。

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朝鮮半島との航路神、宗像三女神とは

宗像三女神は、沖津宮の田心姫神(たごりひめ)、中津宮の湍津姫神(たぎつひめ)、辺津宮の市杵島姫神(いちきしまひめ)の姉妹神三柱の総称で、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれます。

本来、宗像氏族や航海人の祀る神が、神功皇后の三韓征伐の伝承などに拘わり、半島への航海を守護する神として、5世紀以降、国家神として祀られるようになったとされます。

記紀神話では、三女神は天照大神と素戔男命の誓(うけい)から生まれた神とされ、天照大神の命で、天孫を助けるために、筑紫の宗像に降り立ったとされます。

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玄界灘の孤島、沖ノ島は、多くの国宝を出土した海の正倉院

田心姫神が祀られる沖ノ島(沖津宮)は、絶海の孤島。九州と朝鮮半島との中間の位置にあります。

島全体が神域で、女人禁制とされ、男性であっても上陸前に海中で禊(みそぎ)を行ないます。住人はなく、沖津宮の神職が在島するのみで、一般の方の参拝はできません。

一木一草一石たりとも持ち出が禁じられ、島で見聞したことは一切、漏らしてはならないとする掟が、今も守られています。

沖ノ島の20数ヶ所の祭祀遺跡からは、4世紀から10世紀頃の中国、朝鮮半島製品を含む、銅鏡、金銅製の馬具類、三彩陶器、玉類、刀剣、そして、ペルシャのガラス椀などが発見されました。

その大量の祭祀遺物は、一括して国宝に指定されました。そのため、沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれています。出土品は宗像大社(辺津宮)の神宝館で公開されています。

パワースポットが散在する宗像大社の歩き方

沖ノ島の宗像大社は参拝できない?アクセス御朱印まとめ

市杵島姫神を祀る宗像大社(辺津宮)は、宗像市の玄界灘に臨む、太古の入江の奥に鎮座します。

本殿と拝殿は国の重要文化財。本殿は天正6年(1578年)戦国の大宮司、宗像氏貞の再建。拝殿は天正18年(1590年)、筑前太守の小早川隆景によるもの。

社殿の裏手の森に、田心姫神を祀る第二宮、湍津姫神を祀る第三宮が鎮座して、厳かな空気感が漂っています。

傍には「相生の樫」と呼ばれる御神木。二本の幹から伸びた枝が結ばれて、恋愛成就、夫婦円満のご利益があるとされ、人気を呼んでいます。

奥の山中には「高宮斎場」があります。ここは、宗像三女神が降臨した地とされる聖域。「木」を神が宿る神籬(ひもろぎ)として、太古の祭祀形態をみせます。宗像大社最大のパワースポットとされる、神秘的な空間です。

また、湍津姫神を祀る中津宮が鎮座する筑前大島は、宗像大社(辺津宮)の北、神湊より、市営渡船で15分ほど沖合い。中津宮は島の南岸に鎮座します。北岸には沖ノ島の遥拝所があり、天気の良い日には遠く、沖ノ島を望みます。

宗像大社(辺津宮)のご朱印は、大鳥居の傍の祈願殿でいただきます。大島では、中津宮の社務所でご朱印をいただき、その後、沖ノ島遥拝所に向うということで、沖ノ島遥拝所のご朱印も同時にいただけます。

宗像大社のオリジナルの御朱印帳は、楢(なら)の葉の社紋をあしらったもの。色は2種あります。

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まとめ

宗像大社の秋季大祭は「みあれ祭」。毎年10月1日に行われる海上神幸で知られます。

三女神それぞれの御輿を載せた3隻の御座船(ござぶね)が、宗像七浦の漁船、数百隻を従えて、海上を神幸します。色とりどりの旗や幟を立てた大船団が、波をかき分けるさまは勇壮。前夜祭は、毎年、釣川の河口付近で、花火大会が行われているようです。

宗像大社
主祭神 田心姫神(沖津宮)湍津姫神(中津宮)市杵島姫神(辺津宮)
社格 式内社 名神大 官幣大社 別表神社
宗像大社(辺津宮)
福岡県宗像市田島2331
0940-62-1311
公式HP:宗像大社 公式ホームページ|トップページ

宗像大社(辺津宮)アクセス
JR九州鹿児島本線「東郷駅」(神湊行きバス12分、宗像大社経由)→宗像大社前
車では/九州自動車道 「若宮IC」20分
大島(中津宮)アクセス
JR九州鹿児島本線「東郷駅」(バス20分)→神湊(市営渡船15分)→大島

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